蝸牛庵・幸田文/台所のおと

何年前かの夏に明治村という、日本が近代化していく時期の建築を集めた公園にいきました。そこには工場や駅舎に混じって、夏目漱石や幸田露伴の家が移築されいていました。幸田露伴の家、蝸牛庵は、二階の部屋の開口部が、印象に残っています。二階にあるのに掃き出し窓になっていて、大開口というわけではないのに開放感がありました。みどりの多い公園に移築されていることもありますが、気持ちの良い住宅だったと記憶しています。


そんな夏を思い出して、幸田露伴の娘・幸田文の「台所のおと みそっかす」を読みました。文の孫にあたる青木奈緒が編集していて、小説から随筆、ルポルタージュまで編まれています。随筆では、父親露伴に、はたきのかけ方からぞうきんがけ、障子の張り替えをしつけられる幸田文。あの蝸牛庵でのことかと思うと面白く読めるのです。とくに襖の張り替えをするところは本当に声をだして笑いました。


表題の「台所のおと」は、料理人の男が病床からきく、つれあいの厨房仕事のおとが題材の小説です。台所仕事のおとから、そこに立つひとの心までが見えてくると言うのです。料理人だから感じる台所のおと。


いや料理人だけとは限らないのです。読んでいてその文章の辛辣さに、自分のふだんの生活をかえりみて恥ずかしくなりました。日々の生活の所作振る舞いに人間性が出るものだとは思いますが、きびしいしつけで育てられた幸田文の文章から、我が身の日常を糾弾されているような辛い気分になるのです。


本の最後に「些細なつらぬき」という短い随筆があります。幸田文には、十四、五歳のときから守り続けていることがあり、それはふきんをきたなくしておかないことだいうのです。目まぐるしく進む世の中で、目を心を奪われたとき、白いふきんなどあまりに些細ですが、ふとその白さをたよりに、方向をとりもどすというのです。


こだわりというといやらしく響くかも知れませんが、些細なことでも、自分の軸足になるような何かをもっているひとは、生活力のあるひとだろうと思うのです。幸田文の文章のぬけるような潔さが、蝸牛庵の開口部を思い出させるのでした。

(横山敦士)

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