日本大通り

「ここの空は広いなあ」

ここに来るといつもそう思う。感覚的にここでは開放感のある伸びやかな気分になる。

栗原さんも取り上げていましたが、ここは日本大通り。

関内地区周辺を自転車で走っていると、ふと空が広くなるゾーンがある。にわかに明るくなって、見上げるとただ空の広がりを気持ちよく感じる所。視線を下ろすと歩道にはオープンカフェ。パラソルが開いていて、真っ昼間からビール飲む人などみんなそれぞれ人生を楽しんでいる。そんな自由な雰囲気もあってか、ここでは開放的で伸びやかな気分になる。

ところで僕は空間の専門を自負している建築家。だから、ちょっとその「理由」を論理的に空間的に説明しなくてはと思いまして(うまく出来るか判りませんが)少しだけロジカルにその「開放感」を解説したいと思います。

a)車道と歩道

この通りは車道が広くなっていて対面するビル群はその間隔が開いている。巨体であるビル群だけれども、少し遠慮がちに道路から退いている感じ。しかも車道に対して歩道はもっと広くて、さらにいうと歩道の縁石が低いので車道とほぼ段差なしでつながっている。縁石とは歩道に車が乗り入れないために車道に対して高くする境界石のことだけれど、通常10cmから15cmぐらい段差がある。一度自転車でその15cmとやらの段差を乗り越えようとして失敗し、ハンドルを握ったままくるっと宙返りして背中から落ち、しばらく呼吸が出来なくて、たった独りの事故現場でやり場のない怒りと世界中の痛みと火の出るような恥ずかしさを同時に体験した者としては、この段差がうっとうしくてやんなっちまうのだが、この日本大通りはその段差がない。(すばらしい)

要するに、1)車道が広い、2)歩道はもっと広い3)車道と歩道は面一である。

b)街の色と街路樹

広い歩道には、所々にオープンカフェがある。街路樹がある。花壇がある。パリではよく見かける光景だけれども、歩行者を主人とした街のしつらえがある。

街が落ち着いて見えるのはビルの色がなんとなく統一されていること。色の問題はいろいろあって、ただそろえりゃいいってもんでもないから議論になるのだけれど、ここの統一感は好ましい。街路樹は銀杏。若葉の緑も晩秋の黄色も茶系統に統一された街にはよく似合う。つまり地となる建物・街路樹・植栽はいつも落ち着いた支え役となっていて、車の少ないこの通りはどこまでも歩行者を主人としているのです。

と言う訳で、ここに来ると開放感のある伸びやかな気分になる。

(安田博道)

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