夏休み

秋分の日をすぎて、すっかり涼しくなってきたこの頃ですが、今年は夏休みらしい休みをとらなかったせいか、ふと子供のころの夏休みを思い出したり、知人と話したりすることが多かったので、思い出すままに書いてみようと思います。

毎年、岡山県にある母の実家、祖父母の家に兄と一緒に2週間ほどあずけられるのが小学校時代のならわしで、夏休みといえばわたしにとってはそこで過ごしたことに等しいような感覚です。今思えば、ほんとに絵に書いたような田舎で、集落からちょっとはなれた小さな池のほとりにぽつりと静かに”おばあちゃんち”はたっていました。新幹線の岡山駅をおりてから山陽本線でさらに西にいったところにある笠岡駅から、当時の贅沢、タクシーにのって30分くらいでしょうか。車からおりて、ぷーんとむせぶようにかおる草の匂いをかぎながら、アスファルトの道から白く明るい土でできた脇道へ入り、細い坂道をかけおりると、そこに、銀色の鉄板の大きな屋根のおばあちゃんちが見えてきます。門を入ると家の前には、おおきな広場のような(子供ごころには)庭があって、わたし達が到着すると、縁の下から老いた猟犬がのっそりと首にぶらさげた鈍い鈴の音をならしがら顔をだしてくれたものでした。(田舎家なので、犬が暮らせるほど床下が高いってことですね。)

そこでの日課は、いとこのやっちゃんと一緒に三人で、裏のヤブで調達した細長い笹の茎を釣り竿にして、近所の川で魚をとること。魚つって、川の中の堰きの上をふらふら渡って、昼ご飯たべて、昼寝して。魚つって、解剖してみて、おやつ(井戸で冷えた西瓜)たべて、また魚つって。川原で魚焼いて、急な夕立にずぶ濡れになって、橋の下で雨宿りして。やまないからまた走って帰って、五右衛門風呂におそるおそる入って。夕ごはんたべて、寝て。。。たまに山に入ってサワガニとりをするのが別バージョンといったところ。書き出してみると、なんと単純な日々なのでしょうか。

でも、いまでもそれは色鮮かなヴィジュアルで、匂いや音と一緒になってディティールまで鮮明に思いだせます。それは、それよりはるかに長い時間を過ごした、郊外の住宅地でのできごとより、近しいもので、ある意味、わたしの原風景なのかもしれません。 夏休みの一時期を過ごした場所の記憶の方が鮮明であることは、夏休みという開放感からだけではなく、場所や身体のもつ力の差がいやおうなくあったのではないかと、そんなことを考えながら、思い出す子供のころの夏休みでした。

(宮 晶子)

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