よしみの道具

堀江敏幸著「雪沼とその周辺」は久しぶりに寄った書店の平積みで出会った。このごろ、本はインターネットでポチッポチッと購入することが多く、書店に立ち寄ることは少なくなった。そもそも本屋さんが減った。近所の小さな本屋さんも雑誌しか置いていなかったが、いつの間にか閉店していた。ある程度大きな駅まで出かけないといけないので、交通費を考えると配送費を払ってもネットで購入した方がお得なのである。


家をモティーフにした彫刻を表紙に使っている文庫本に目がとまり、「雪沼とその周辺」を手に取った。その家の彫刻がとてもモデストで、そんな家に暮らす人の話であることが伝わってきた。こんなところでも家型に反応してしまうところが、トホホなのだが、こんな出会いが書店の良いところで、アマゾンの限界はいわずもがな。ネット検索は目的の本に一直線にたどり着く良さがあるが、新しい出会いみたいなことは少ない。題名や目次だけでは伝えられない、物としての本の持っている質感、言い換えれば装幀デザインによって伝わってくる何か。レコード時代のジャケット買いなどがまさにそれで、デジタルな世の中になり、ますますコンテンツ至上主義になっていくのが寂しい。


「雪沼とその周辺」は7つの短編で7つの話は少しずつ影響し合いオムニバス映画のように構成されている。表紙で感じたように、スキー場のある雪沼という地域の周辺に住む人たちのまっとうで静かな生活が書かれている。それでも人生とは無常で、人それぞれに人生の分節点がある。その人生転換の瞬間に立ち会い、そこから登場人物の今までの人生を知ることになる。淡々と語られる物語、その傍らで人と人をつなぐ道具がもう一つの主人公となっているのが、この小説の魅力である。


池澤夏樹が終わりの解説で、「よしみを通じる仲になった道具」という表現をしている。段ボール裁断機、ブランズウィック社製ボーリングのピンセッター、自転車。人と道具が暮らしの歳月のなかでよしみを通じる。道具の持っている手で触れる質感を大切にした暮らし。雪沼は時代の波に取り残されてはいるが、よしみの道具とともに、モデストで人間らしいまっとうな暮らし方が残っている。


竣工した住宅に施主が引っ越しを始める。その引っ越しにつき合うのが好きだ。冷蔵庫やテレビなど新築とともに購入する物もあるが、大部分は今まで使っていた物である。建築写真などは家具を排除して撮影しているから、多くの施主は、僕が竣工時の状態がベストだと思っていて、沢山の荷物が持ち込まれるのを心のなかで嘆息しているのだと考えているのではないだろうか。


実はそんなことは全然なくて、一つ一つ今まで使っていた家具や道具が運び込まれ、場所場所に収まっていくのをみているとある種の悦びが湧いてくる。自分のもとを離れていく寂しさも同時にあるのだが、物理的な箱だったものが、住宅になっていくのを見届けるとでもいうのか、うれしい気持ちになる。


人の暮らしは、家具や道具があって始めて成り立つのであって、住宅はただの箱だといえる。人と道具との関係が生活とか暮らしとかをつくっているのではないだろうか。雪沼の暮らしのように。


僕は物持ちがいいほうで、自動車などそろそろ20年になるし、レコードプレイヤーなどは、30年以上前の物をつい先日修理してもらい使い続けている。エコとかそんなことでなくて、よしみが通じてしまい手放せないのだ。道具を通じて色々な事を思い出すことが出来る。薬罐一つでも、そんなんで捨てられなっかたりする。

(横山敦士)

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