寅さんの見えないマドンナ

2005年8月6日からNHK衛星第二放送で続いていた「男はつらいよ」全48作品の放映が、今年2007年1月27日に完結した。熱心なファンと言う訳ではないのだが、同居している母が毎回楽しみに見ていたので、私もその内半分位は見たと思う。驚いた事に、そうして見た作品は、どれも以前に見た覚えがあるものだった。自信は無いが、ひょっとしたら既に48作品全てを見てしまっていたのかもしれない。映画館に行って見たのは一度だけだったので、それ以外はテレビで見た事になるが、何だか知らない内に覚えてしまったおとぎ話しのようである。

この偉大なる喜劇映画のシリーズを振り返ると、渥美清演ずる主人公の寅さんは、よくもまあ毎回毎回素敵なマドンナに出会えたものだ、とつくづく感心してしまう。身分知らずに美しいマドンナに恋をして失恋、と言うのがお決まりのパターンなのだが、次には必ずまた違ったタイプの素敵なマドンナが登場する。たまには悪い女が出てきてひどく騙されてしまっても良さそうなものだが、決してそうはならない。結局最後まで結婚もしなかったが破滅もしなかった寅さんは、一体幸せだったのだろうか、不幸せだったのだろうか、などと考えたくもなる。

これをマンネリというのはたやすいが、ここまで徹底していると、繰り返す事による魅力と言うのものが確かにある。他の登場人物は常連ばかりなので、ファンはいつものパターンを期待しつつ、今度はどんなマドンナが登場して話しが展開するのかを楽しみにできるのである。そもそも一作だけで失恋したまま終わってしまったら、喜劇ではなく悲劇になってしまうではないか。

こうした「男はつらいよ」シリーズの仕組みを考えると、唐突なようだが、イタリアの作家イタロ・カルヴィーノの「見えない都市」と言う小説を思い出してしまう。この小説では、マルコ・ポーロが元の皇帝フビライ・ハンに語ると言う設定で、数多くの違った都市の説明がなされる。どれか一つの話しが格段に面白いと言う訳ではないが、様々な都市の話しが繰り返される事でこちらの想像力が刺激され、夢を見ているような不思議な高揚感を感じる事ができる。

しかし評論家の多木浩二氏によれば、マルコ・ポーロが語る数々の都市と言うのは、実はただ一つの都市、ベネチアであると言う。直接は語られていない「見えない都市」ベネチアが、異なった見方、また異なった説明により、全く違った姿を見せている、と言う事なのだろう。

寅さんが出会うマドンナも、結局は山田洋次監督の創作物に違いないのだから、同じような事が言えるかもしれない。そうだとしたら、ただ一人の「見えないマドンナ」とは誰なのか?それを48作品の中から探すとすると、まず初めに思いつくのは浅丘ルリ子演ずるリリーであろう。他の女優が複数回出演した場合は大抵前とは違う名前の女性として登場しているが、リリーだけは同じ名前で4回も登場している。寅さんにとっては特別な存在であるに違いない。

しかしリリーはちょっと寅さん自身の世界に近過ぎて、いつものパターンで相手となる他のマドンナ達とは異質であるように思える。リリーを違った角度から見たとしても、吉永小百合演ずる歌子や、竹下景子演ずる朋子の姿は想像できない。むしろ寅さんにとっては分身か鏡のような存在だったと言えそうだ。

それでは誰が?と言う事になると、私はやはり倍賞千恵子演ずる妹のさくらではないかと思う。寅さんに似合わず美しく、聡明、清楚、そして限りなく優しい女性。まさにお決まりのパターンの相手そのものである。そう言えば私自身、好きなタイプの女優は、などと聞かれて、得意げに倍賞千恵子、と答え事があった。気が付かないうちに、すっかり寅さんワールドに取り込まれていたのかもしれない。

(栗原正明)

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