むかし観た映画
建築家になりたい、と想い定めるずっと前からよく映画を観た。
もっともその頃は映画が最もポプラーな娯楽でありそれ以外に大衆が気軽に楽しめるものがなかったのだから当然な対象ではあったわけだ。
特別な体験としての「ターザン」「西部劇」が一番鮮やかに記憶にある。
のどかな田舎で家から1キロほど離れたところにバス停があった。そこには映画広告の掲示板があってポスターの四角が、そこだけ輝く夢の窓のように見えていた。貼り変わるたびに友達と連れだって、それを観るためだけに何度もたんぼ道を通って、しばし眺めては、映画館のある街へバスで出かけるわくわくする気分を想像しながらそこを離れがたく、ポスターを振り返りながら何となくうろうろとしていた。
初めて観た西部劇「オクラホマキッド」初めてみたターザン「ターザンの逆襲」。「荒野」といい「ジャングル」といい初めて観る光景にあっという間に我を忘れて感情移入し、ぼくは見晴るかす平原を孤独にさすらい、枝から枝に空を切り、恐ろしい土人(今や死語!)に恐怖して小さくふるえが止まらないでいた。
そうやって巨大な映像による観たこともない風景=異境の出現とそこでの新しい空間体験?の興奮とあこがれに包まれた、映画を観るという特別な日として記憶された情景が今でも鮮烈に目の中に浮かぶ。久しぶりに会う両親(そのころ離れて暮らしていた)に連れられて晴れの場に出かける華やいだ気分の、今となっては少し甘酸っぱい記憶と共に。
中学、高校生となって一人で観るようになり、建築家を意識すると一段と映画を観るようになった。
都会とは?(チャンピオン)。モダンリビングーそんな言葉は知らないままにーの空間ってどんな?(我らの生涯最良の日)。ヨーロッパの都会とは?カテドラルというもののスケールは?(ミラノの奇跡)。大邸宅の富豪の生活と空間とは?(サブリナ)。古代エジプトの空間は?(クレオパトラ)ピラミッドほどうやってできた?(ピラミッド)。ベニスとは?(大運河)。石の空間?(円卓の騎士)。駅というもの?(終着駅)。都会としてのローマ?(いとこ同士)。現代ギリシャ?(日曜はだめよ)。透明な大空気膜空間の住まい?(バーバデラ)。スコットランドの空と荒地?(嵐が丘)。地中海都市?(望郷)。インドの都市住居の構築された外気の空間?(チェスをするひと)郊外団地に住むとは?(現金ーげんなまーに手を出すな)。・・きりがない!
かっこいいこと、粋なこと、そして想像の空間を目の当たりにする新鮮な驚き。
戦後の貧しさを残しながらも、そこを抜け出ようとするところまできた、近代化まえの日本の都市で(中学で東京に戻っていた)、映画スクリーンという当時最もスケールのあった映像で、憧れの具現化する姿と未知の世界を目の当たりにする、人と空間の関わりを目から学んで,イメージの空間に想いをめぐらす。今で言えば、豊富なドキュメンタリーフィルムで学ぶような事を、全て映画で教わった。
ロケーションと見事なセットで観るリアリティ?は記憶の身体性を伴って今も手の内にある。
いまや、精巧なCG映像が避けられない映画体験の時代だ。今日の大方のCG映画には感覚としての興奮と刺激こそあれ、テーマを構成を物語性を、映画を映画として観る、楽しむ事と別のもう一つの体験として、空間、人、時間、の関係性の新しい体験をそこに観ている映像にリアルに発見するというぼくの楽しみは失われた。
(室伏次郎)
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