犬のいる暮らし

 新年明けましておめでとうございます。都心部では21年ぶりという大晦日の積雪で締めくくられた2004年。台風地震津波と自然の力の恐ろしさ、そしてその人知の及ばぬところをあらためて思い知らされた1年でした。地球が怒っているのでは、などと言ってはみるものの、そういう自然に対して人間を対等な立場に置くような姿勢が思い上がりに過ぎないのではないかとも思えてきます。

  さて、酉年の年初からなんと気の早いことと言われそうですが、来年の干支「犬」のお話です。それというのも去年30数年ぶりに犬を飼い始めたからです。子供のころ当時一世を風靡したスピッツの雑種が家にいたことがあるのですが、犬小屋にペンキを塗ったきり(これが建築に興味を持ち始める萌芽だったといえなくもないでしょうが)、当時はとりたてて世話をすることもなく、寒空の下、犬小屋にほったらかしておいたものです。いわゆる犬好きとは少し距離を置いた人生だなと思っていたのですが、ミニチュアシュナウザーが昨春に来て以来、家の2か所にゲージを置き、車には犬用のシートをつけ、新幹線に乗せて京都まで連れて行き、いまや犬がベッドにもぐりこんでくるのも許してしまう始末です。まあ、犬好きにとってはごく当たり前のこととも言えるのでしょうが、僕にとっては結構世の中を見る目が変わる出来事になっています。

 ひとつには、街を見る新しい視点を獲得したことです。引っ越してきて間もない北鎌倉界隈で犬の気ままにまかせて今まで知らなかった道(といっても幅1メートル余、にもかかわらず市道だったりする)を発見すること度々、さらに知らぬまに人様のお宅の玄関先まで入り込んでも犬の散歩ならこんにちはの挨拶で済んでしまう。立ち入り禁止の学校のグランドで遊んでいても犬が一緒なら大丈夫(?)。人間の数十倍の嗅覚が描く犬にとっての街のイメージ図はどんなだろう------ある草むらの匂いがいつも便意を誘うのなら、その記憶はどういう風に犬にはとどまるのかなあ、などなど------想像しながらの散歩が楽しみになりました。そんな山道の一角、こんなところにどうやって資材を運んだのだろうというところにもかなりの数の住まいがあります。これもれっきとした都市社会の一部でしょう。高層マンションのようにすべてがコントロールされた(と思い込んでいる)街だけが都市社会を造っているわけではないのです。それにしても、まだまだ自然が十分残っているといわれる北鎌倉近辺でも全く野良犬に出会うことはありません。野良猫は案外いるようですが、犬は猫と違って独りでひっそりと、しかもうまいこと人間社会の中で生きていくには正直すぎるのでしょうか。あるいは、空き地を空き地にしておかない現代社会が彼らから生きる場所を奪っているのかもしれません。われわれは知らず知らずに自分のコントロールが利かない自然は排除してしまっているようです。虫や野良犬や土、どうして都会では空き地ができると(それがほんの数ヶ月であれ)舗装して駐車場にしてしまうのでしょう(今年は大変だといわれている花粉症の原因のひとつはこれ、困ったものです)。昔は結構野良犬も居たと思うのですが、でも案外決まった誰かが餌を与えていたのだったかもしれません。野良犬といえばバリの犬たち。人々が毎朝お供えする供物の掃除係だそうです。人間社会の中で重要な役割を担って生きているというわけです。でも、そもそも狩猟民族にとって犬は彼らなしには生きていけない同士であり、家族あるいはそれ以上の存在だったといわれています。犬が生きやすい街を考えてみると、むしろ人間が求めているものが見えてくる可能性もあるかもしれません。

 もうひとつ、人間観察の新しい視点(とたいそうにいうほどではありませんが)も獲得しました。お互い犬の散歩の途中であった場合、犬同士の気が合えば飼い主同士も挨拶をするようになり、しかも犬の名前で(のみ)お互いを呼び合うわけです。犬が主役のコミュニティーです。人間同士はお互いの氏素性に触れることなくかなり親密な交流が実現することになります。また、散歩の途中に合う人たちの反応もはっきり分かれます。笑顔とともに犬に語り掛け近づいてくる人、自然にすれ違う人、困ったような表情をしながら無関心を装って通り過ぎる人、怖がって後ずさりする子供。そして、新幹線に乗せようとホームで待っているときなどはその反応がより鮮明になり、犬を抱き上げてくれる人がいるかと思えば、本当にこの犬を乗せるのかとあからさまに不快感を示す人もいます。こちらも初めてのことなので、殊勝な気遣いをしてかわいそうだけれど犬をデッキに置いてみたりするのです。でも子供の泣き声やおっさんの鼾に比べれば、3時間の間に1回小さくワンと鳴いた犬の声などたいしたことではない気もしますし、隣のおばさんの弁当の匂いのほうが近所迷惑かなと犬の気持ちを代弁したくなります。

 近頃は、犬と暮らす住宅や犬と行ける宿の特集もたくさん出ていて、犬が市民権を得るのはいいこととは思いながらも、あまりに犬にとって至れり尽くせりな配慮の吹聴はどんなもんかなとも考えるのです。そんなノウハウをどんなに集めても犬種によって、犬との暮らし方によって、あるいは犬の個体差で一律には答えが出ないはずですし、何よりも犬にとって最も大事なのは物理的な環境より飼い主の愛情という無形の環境なのですから。全く同じことが人間の暮らす住宅や都市を考えるときにもあてはまりそうです。去年竣工したある住宅のリビング------壁も天井もキッチンもすべて白に塗りこめ、間接照明が床のウォールナットに反射するようなミニマルなスペース------に竣工後お邪魔したとき、年老いた犬のためのゲージがイタリアン家具を押しのけて真ん中に置かれているのを見てなぜかこれが暮らしだなと感じたものでした。

 2005年もよい年になりますように。

(荻津郁夫)

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