お気に入り

好きなものに囲まれて暮らすという程のことではないけれど、身近なものに不協和音がないのが良いと思う。

図面をCADで描くようになって、製図用具の数々が引出しの奥に納まってしまったが、職業柄相変わらず筆記用具は身近に多い。そして、お気に入りのものというのが何となしに決まっている。

小学校に入学する時に買ってもらった筆箱や赤い下敷きは、今も記憶に残っている。工作用ハサミは何故か未だに引出しの中にあり、それが特別のものではないのでかえって、当時の日用品はこんなふうだったのかという思いで手に取ることもある。

その頃、お気に入りの鉛筆は三菱のBだった。深い緑色や三菱のマークが好きで、筆箱に並べると満足だった。

新しく鉛筆を買う時には、母がトンボを買ってしまっては大変なので、必死で見守っていた、と思う。

はじめて傘を買ってもらったのは、幼稚園に入園する直前だった。

母と商店街の傘屋に行くと、店のおじさんが、開くとぐるっとすそ模様のように柄のはいった傘を、いくつも出してくれた。

私はその柄がどれもイヤで、絵の無いのがいい。と言った。ゴミが着いてるみたいだから。と言うと、おじさんはびっくりしたようだったけれど、黙って赤い無地の傘を出してくれた。

まだ若かった母は、気まずそうにそそくさと支払いをして店を出たが、帰り道、あんな物の言い方をしてはいけない。傘屋さんはイヤな気持ちがしただろう。と、いつになく強く叱られてしまった。

でも、赤い無地の傘は私のお気に入りとなって、小学校の4年生くらいまで使っていた気がする。

いずれも、まだ我が家にテレビもなく情報量の少ない、流行に無縁の子供の頃の思い出だが、故に自分が好きでさえあればそれが一番、という幸せな時期でもあった。

さて今、そろそろ携帯電話の買い替え時かなというところなのだが、好きになれる物がない。高校生の娘が、今度はこれ!と心から欲しそうにしているお目当ての物があるのを、羨ましくながめている。

種類は豊富なのにバリエーションがないというのか、どれも同じくらい気に入らないのだ。シンプルで小恥ずかしくないものが出てくるのを、心待ちしている次第。

クライアントとお会いした時などに、モデルハウスを見て廻ったけれどなかなかぴったりするものが無くて・・などと聞くと、一瞬、傘屋でのことが浮かぶ。

あの時の私と同じような思いで、自分の家を求めている人もいるのだ。

同時に、びっくりしたようなおじさんの顔も思い出される。

あの時は、生意気な物言いをごめんなさい。好きな柄がありません。と言えなかったのだ。特別なものでなくても良いが、気に入ったものが欲しかったのだ。

今も、似たような気持ちで仕事をしている。

(服部郁子)

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