失われた山桜の思い出から

その山桜は家から徒歩で5分程の所に在った。いつ頃からか、毎春に咲くこの桜を見に行く事が、私達夫婦の楽しみになっていた。入り口の狭い切り通し状の坂道には、コンクリートの平板が階段状に無造作に並べてあった。両側の斜面にはその時節、可憐なスミレの花が雑草に混じって咲いていた。階段を上ってゆくと、樹々に囲まれた3、4軒の家が、外界から取り残されたように建っていた。山桜の老木はその一角にあり、枝を大きく横に張り、風に揺れていた。周りは、梢を渡る風の音以外は何も聞こえない別天地であり、秘密の場所のようでもあった。私達は薄紅色の若葉と共に咲くこの山桜を、しばし時間を忘れて眺めていた。

ところが、今年の春もいつもの光景を思いつつ行ってみると、山桜が影も形も無くなっている事に気づき、あぜんとした。理由は国内の何処にでも起こりうる、宅地造成が原因と解った。

この場所は周りと同じ市所有の自然林とばかり思っていのは間違いで、個人が所有する土地でした。

しかしそれにしてもこの木を残して宅地造成する事は出来なかったのだろうか。この木を残す事により、イメージアップを計る考えは浮かばなかったのだろうか。日本の人口が減り始めている現在でも、相変わらず最大量の確保だけを考える価値観が見直されるのには、まだどれくらいの時間が掛かるのだろうか。

話しは変わりますが、私の家では長野方面の業者から、有機栽培の野菜を取り寄せています。その業者の毎回の通信欄を面白く読ませてもらっていますが、その中にこんな話しがあった。

この小さな会社では、足りない土地を周りの農家から借り受けて畑にしている。一般に有機栽培の畑を作るには、時間をかけて土作りから始めなければなりません。ところがこの国の政権が変わり、新政権が農家の個別補償を公約として掲げるや、今まで土地を貸していた農家が契約の継続を止めてしまった。その後どうなったかと言うと、せっかく出来上がった土地に大量の農薬を再び散布し、自分たちがやってきた、今までどおりの農業を始めたそうです。

政治とは難しいものだなと思います。今回の原発事故で、政府が浜岡原発を止めさせた事には賛成が多いものの、経済界では反発する意見も聞かれます。

戦後の日本はひたすら工業生産に励み、それに伴って生じるエネルギーの供給量を増やす事は、当然のように考えられてきました。この考え方にはジェネレーションの差もかなりあると思います。

ところで、今まで述べてきた事は、ある共通した認識から出発している観がします。

現在、日本のGDPは中国に抜かれ、世界で三番目になっているようです。しかし一人当たりのGDPはかなり低く、二十七番目と記憶しています。この事は何を意味するのでしょうか。小規模で効率の悪い製造業が多すぎると言う事でしょうか。

メーカー住宅に比べ、我々建築家が時間をかけて設計する建物も、量的な意味での生産性の向上と言う観点からは、足を引っ張る役目を充分果たしている事は間違いありません。

私の結論を言うと、一人当たりのGDPの低さは、文化度の高さと関連してないとは言い切れないと思っています。

(池和田有宏)

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