自分の家を探して

長いこと自分の家を探している。

と言っても不動産屋の情報を見るのではない。

仕事で出歩いている最中や街歩きの道すがら、気になる家、気になる敷地に暫し目をとめるのである。新築でなく人の住んでいる痕跡の残る家に心惹かれる。

果ては夢のなかでまで、気になる家に心奪われている。夢のなかであるから、勝手に家に上がり込みその佇まいを味わっている。それがいつも古家である。いったい、設計者であるのになぜ自邸の設計を夢に見るのではなく、古家の見物などしているのだろう。

どういう訳か父が引越し好きで、転勤でもないのに、子供の頃都内を何回も引越しした。そのため私には、次はどんな家に住むのかという意識が常にあったかもしれない。

当時住んだのは、父母が知恵を絞って建てた小さな家もあったが、ほとんどは中古の住宅だった。前住人の生活の痕跡の残る中で暮らしはじめ、やがて自分の匂いのする家にかわっていく過程こそが、住み慣れるということであったように思う。

その父が亡くなり、私は母の住む父の最後の家に戻り、今も暮らしている。

28年前、父が選んだ地は横浜の北端の街で、それまでに住んだ何処とも違っていた。父がこの地を選んだのが意外な気がした。

新興住宅地のなかのその家は、新築ではないのだが、街中が均質にまだ新しく無臭なのだ。整然としたケヤキ並木のバス通りや、明るい校庭の小学校。歩いても歩いても古家も、神社の境内も、町工場も、商店街もない。そして、住宅地を一歩出ると、当時はまだ建設中だった港北ニュータウンである。道路さえ建設半ばで、今はメインストリートとなった区役所通りあたりで小学生がザリガニ穫りをしていた。

どこを見ても自分より古いものがない。抱かれるような安らぎを得にくい街だった。

しかし、この街に住みながら結婚し、子供を育て、仕事場を持ち、結局これまでのなかで最も長く住み続けていることに驚く。

その間、街は周辺の変化に伴い少しずつ変わり、建て変わった家も少なくない。バス通りの交通量は増え、ケヤキは持て余されるほどに大きく育った。完成した港北ニュータウンには幾つかの端正な公園が配置され、子供達や若いお父さん達がザリガニ穫りを楽しんでいる。

街が造られ育っていくのを、計らずも見続けてきたことに最近になって気づいた。

特別好きだと思って暮らしていたわけではなかった造られた街が、少しずつ匂いを纏い、影を作り、壊れたり、直したり、捨てられたりしながら時間を経てきたのを愛しく思う気持ちがかすめる。案外古い住宅地もこのようにして育ってきたもので、街への愛着とは、こんな具合にいつの間にか生じるものなのかもしれない。

毎朝飼い犬にせがまれて散歩する、港北NT徳生公園。

「くさぶえの道」では、アトランタ五輪選手の志水見千子さんがランニングコーチしている場面に、時折出会う。さすが、ただ者でない美しさです。

(服部郁子)

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