ニセコでのふかゆき体験

2月の終わりに今シーズン初となるスキーに行ってきました。しかも、北海道のニセコに!

父親が富山県出身ということもあり、幼いころからスキーには慣れしたしんでいました。 学生の時には、深夜バスツアーに参加して、早朝からナイターまで滑りまくっていたことも。

設計事務所に勤務してからは、時間もとれず板もさび付いていましたが、独立後、昨年までリサーチフェローとして所属していた首都大学東京で、元スキー部の先生と意気投合し、3年前に再開。それ以来、シーズン2回はいくようになりました。

今回も、その先生と一緒です。しかも、北海道のニセコに!!(2回目)

北海道スキーは3回目です。小学校時の家族旅行が1回目。前述した大学のときに先生といったのが2回目。どちらも、自分のスキルが上がったと勘違いさせてくれる雪質で、ターンする度にうっとりしてしまうほどでした。どちらも3月後半のいわゆる春スキーだったのですが、富山の重い雪質で修練を積んだ身には、それでも天国のようでした。それが、今回は2月末という、新雪が常に降り続ける中でのスキー。ここで、私のスキー史上初めての経験をさせていただきました。

前日の夕方から降り出した雪がゲレンデを包み込んだ朝。雲の隙間に青空を確認しながら、いそいそと準備をして出発。9時のリフト開始時間を目指しゲレンデに向かうと、青空の中に雲が漂う程度に天気が回復していました。ニセコは雪の量が多いためか、はたまた、雪質がよいためか、滑走禁止区域が少なく、圧雪されていないコースが沢山あります。富山などの重い雪で圧雪なしと考えると、足を取られやすいのでターンに力がいるし、新雪の下に隠れたブッシュに引っかかると危険ということで、できるだけ避けるものですが、ニセコのスキーヤーは違います。圧雪されていない雪面を我先にと目指していくのです。はじめは、自分のスキルを考え、圧雪されているところを滑っていたのですが、同行した友人から助言をもらい、転ぶのを覚悟で滑ってみたところ、あっという間に病み付きになりました。粉のような軽い雪がスキーを優しく迎えてくれるという感じで、スキーが雪に沈んだとしてもまったくといってよいほど抵抗がなくはなれていきます。それが、きらきらと舞いあがり、シュプールの後を彩ってくれます。そこには自分のシュプールしかそこには存在しないわけですから、一筆書きの書を完成させたような達成感も加わります。なんとも贅沢な瞬間です。その感動を教えてくれた友人は、この雪のことを「ふかゆき」と呼んでいました。

ニセコには頂上付近まで行くリフトが4つあります。その一つのリフトから、山頂を目指す列ができます。みんな、スキーやボードを担いで、20分程度かけて登り、そこからまっさらな雪面を一気にすべり降りるわけです。「ふかゆき」の味を知ってしまった私も、友人と一緒にその列に加わりました 。

地元の方いわく、2月ではまれといわれた晴天の下、「蝦夷富士」の愛称で慕われている大雪山が間近に迫ります。また、逆側には山々の奥に日本海を望めます。景色に感動しているのはつかの間です。まだ誰も汚していない「ふかゆき」が残っている雪面を選び、友人が早くも駆け下ります。

遅れまいと続きます。さすがに距離が長く、一気に下までというわけには行きませんでしたが、多少いびつな一筆書きを刻むことができました。

この日は一日中晴れていたため、14時にもなると多少は雪が重くなります。それに加え人が増え「ふかゆき」を見つけるのが困難になります。リフト始動と共にゲレンデ入りし、「ふかゆき」を存分に体感したわれわれは、編み目模様になった雪面をバックに、日のある内に温泉を目指すという、大人帰り。決して疲れて動けなくなったわけではないですので、あしからず。

便利なものや、快適なものは、手放せないといいます。床暖房や冷房の快適さを知った人間から、いくらエコだからといっても、今あるものを抹消することはできないでしょう。だから効率化を目指すわけです。

スポーツなどでの体験や感動も同じのようです。今回「ふかゆき」という今までにない感覚を味わった私は、今後ニセコ以外のスキーで満足できる気がしません。さてどうしたものか。。。

(藤江 創)

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