『金沢21世紀美術館で「杉本博司 歴史の歴史」展を見た。

円形の美術館を一周し正面入り口からレセプションを経て、最初の部屋に入ると壁一面に「化石」が展示されている。さらにその白く高い壁のかなり上の方にあるのは「隕石」。中央には救急ベッドの上に縄文時代の石棒、振り返ると石器や楔形文字。さながら地球科学博物館のようだ。化石を「前写真、時間記憶装置」と呼び、「この技術をアートと呼ぶならば、これは間違いなく世界最古のアートと言えるだろう」というメッセージが入り口に掲げられていた。「私は写真とは現在を化石化する行為であるということに気づいた」ともいう。もう一方の壁には5億年以上前の海底のジオラマを撮影した大判の白黒写真。想像によって再現されるジオラマの一部は化石を基にしている。撮影されたジオラマが写真であることによって実にリアルに見えてくる逆説に魅入られながら壮大な杉本ワールドに引き込まれていく。

第二の部屋には当麻寺の東塔にかつて使われていた千年以上前天平時代の物を含む古材が分厚く粗らしい錆鉄板をベースに林立して展示されている。壁にはその東塔の実物大の写真。こちらには古材に代えて明治時代に修復された部材が含まれている。「反重力」と名づけられた部屋でまたしても、写真を媒介にしてどれがオリジナルでどれがリアルでどれがコピーなの?と今見ている現実に流れ込んでくる時間の複雑さを見せつけられる。またその古材の中の木負という部材に掘り込まれた垂木を受ける溝の間隔が全く不規則なのだそうだ。垂木自体にも反り曲がりがあるわけで、それらが組み上げられた時あるいは幾年月も風雨にさらされた後にも絶妙のバランスとなるような古代の棟梁の細工なのだ。木材を単純に誰でも扱えて最小限の手間で組み立てられるように、構造部材として計算にのり易いように、人工乾燥させて暴れないものをよしとする現代の技術とそれを許容し支持する文化のあり方をあらためて考えさせられる。「今の材木は、暴れる元気もないやつばかりよ」と言うある棟梁の言葉を思い出す。

第三、第四の部屋には昭和天皇をはじめとする日本人が出ているTIME誌の表紙、A級戦犯たちの小さな肖像写真、月の石、さまざまな隕石、月の裏側の写真、アポロの宇宙食の実物など。ここ一世紀に満たない歴史の証拠物の隣に宇宙の始まりを推測させる隕石の展示。物理的な時間とは関係なしにどれもが等距離な事件のように思えてくる。第五の大きな部屋には、中央に錆鉄板のベースに高々と鎌倉時代の雷神像。周りの壁には新作「放電場」。大判カメラに装てんする際に静電気でフィルムを駄目にしたことに発想したという。実際に放電している製作中(実験中)の白衣(博士)姿がちょっと怪しげ。第六の部屋には、解剖学の図版、解体新書。第七の部屋には、仏像、曼荼羅、能面など。第八の部屋はガラス張りの陽光に輝く幾何学模型。最後の円形の部屋には、中央の十一面観音像を囲んで世界各地の海景が並ぶ。

美術と言う範疇を大きく超えて、地学、天文学、物理学、幾何学、日本宗教史、博物学など、和も洋も、古代も中世も近代も現代も横断して杉本の意識の見取り図が実に精巧にしたたかに展開している。あたかもこの展覧会のために設計されたかのようにすべての空間を取り込んで。展示ケースの作られ方も実にミニマルに納まっていて、どんな順番で組み立てていつ展示品を入れたのだろう、と余計なことまで考え込んでしまった。

ドキュメンタリーの中では、まだまだ温めている、沸いてくるアイデアがたくさんあるのだと語っている。クールに美しくしかも注意深く現代のデジタル技術とは一線を画しながら、写真と言う技術、アートを通して、現代に流れ込んでいるさまざまなものの始まりへと向かう旅がさらにこれからどう展開するのかとても楽しみだ。

展覧会を十分に堪能した後の金沢21世紀美術館のイタリアンランチが、雰囲気といい味といいとてもよかったこと、卒業設計展や地域の工芸展などで美術館全体に活気がみなぎっていたことも印象的だった。

なお、4月14日から大阪・国立国際美術館へ。残念ながら首都圏への巡回はないようだ。

(荻津郁夫)

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