思い出す言葉
このコラムページの第77回荻津郁夫さんの『パスかドリブルか』を読んで、ハッと思うものがあった。背中を軽くポンとたたかれたような・・・
御子息のサッカーの話だが、文末にモノ造りの姿勢に示唆的な問い掛けがある。
「ドリブルかパスか」は持前の性格であったり、堅持する ヴィジョンであったりするだろう。だからこれを読んで「フ~ム」と感じた人は少なくないはずだ。
私も、いろいろなことを思い出してしまった。
学生の頃、アルバイトをしていた設計事務所のボスは高名な建築家で、その頃は既に実務は優秀なスタッフ達に任せ、自分は別室の書斎で悠々とスケッチなどしておられた。ある日、その書斎によばれてお茶を御馳走になるということがあった。
(建築設計を志す若者に温かい人だった)
雑談が、大学での課題のことに及んだとき
「君は提出期限ギリギリまで案を模索するのでしょう?」と聞かれた。
「もちろんです(あたりまえじゃないか)」
すると、その建築家は次のようなことを話すのだった。
「僕はね、比較的早い時期に平凡な案からスタートするんだ。それからじっくり練り上げて行く方が好きなんだ。仕上がった時には、君の名案に負けないネ」
その時はフン!と思ったが、私は次の課題からはその方式でやっていたのだ。
大学院に進んで、設計研究の抱負と方針について研究室で発表していた。
盛り沢山の内容説明の途中で教授に遮られ、言われてしまった。
「幕の内弁当みたいですね。君は横浜だったね。シウマイ弁当でいいですよ」
気をくじかれて、その日は仲間を誘ってビアガーデンに行った。
だが、なぜかビールは旨かった。(つまみはシウマイだったかも)
就職した事務所で初めて一人で設計を任された時のことである。山荘だった。
私の実施設計図をチェックしていたボスが、洗面所の展開図を見ながら、
「この窓は開かないのかい?」と聞くので、すかさず答えた。
「はめ殺し窓に見せて、実は隠し框の片引窓なんです」(覚えたてのワザだった)だが、ボスは私を見上げて笑いながら
「だけど洗面所だろ?普通に引違い窓でいいんじゃないのかい?」
私は黙ってしまった。ガッカリしたのではない。目からウロコが落ちていたのだ。
その事務所を退職した足で、大学の先輩の事務所に独立する旨の報告に行ったら、「ちょうど良かった」と言われて、その場で住宅設計の仕事を紹介してもらった。
数日後、その先輩と鎌倉の施主に会いに行った帰りの横須賀線で「君は相談型だね。僕は提案型だ。全然違うタイプだね」と言われた。
施主の御要望を具体化するのも設計の重要な仕事だが、施主が考えてもいなかった空間を実現してみせるのは建築家しかできないことだ、というわけである。
あれから20年が経って、その先輩は日本でも指折りの建築家になったが、今でもときどき「手伝ってくれ」と声をかけてくれる。「全然違うタイプ」だからだろう。
細かいドリブルで問題をひとつずつかわして行くことを信条としながらも、美しいパスを出せない自分をもどかしく思っていた。
いや「ドリブルとパス」というような上手い比喩を見つけられずに、混乱していただけかもしれない。だから、粗いドリブルといいかげんなパスになる。
ドリブルで進むかパスを蹴るかは依然として決心できないものの、ピッタリな言葉が見つかると妙に安心したりするものだ。
私が思い出す「大切な言葉」はいつも肩の力を抜いてくれるもののようだ。
またひとつ増えた。(荻津さんありがとう)
(増田 奏)
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